23 Oct 2017



果樹の枝

 6月に水彩レッスンを始めたから、今月で早5回目。少人数でなければやる意味がないと思っているので、7~9名のクラスが東京に2つ、沼津に1つ、お集まりいただけて毎回感謝です。

 数人の経験者を除き、ほぼ皆さん初心者でいらっしゃる。筆を持つのは中学生以来という方が、ほとんどです。

 そんな皆さんに私がお伝えしたいのは、アカデミックな作品ではなくて、小さな優しい絵。便りの隅にちょっと描いたり、手製のグリーティングカードに仕立てる。小さな絵を描いてお友達に送ったり、家族に観てもらうことは、生活を明るくしてくれる。いつか自分の好きなものを気楽に描ける、そのステップになるような絵を、自分の作品から選び、手本にしています。

 10月は果樹がいいと思った。プラムの枝です。こんな小さな絵にも、幹の踏ん張りや、実の重さ、質感などが、いくらか表現できていると思います。

 にじみやぼかしは、透明水彩に与えられた特別な個性です。加えていわさきちひろさんの絵もそうであるように、輪郭線を引かずに絵具の「面的な広がりで形を捉える画法」、没骨法(もっこつほう)で描く練習を、今回も続けます。

 今回は没骨法の説明にうってつけな、芸術新潮のいわさきちひろさん特集号を、資料に持ってゆこうと思う。

 朝、ゴミ出しに行ったら、台風に吹かれてイチョウの葉が散っていた。ひとや車に踏まれていないものを幾枚か拾う。あとで描こうと思います。没骨法で。
 

22 Oct 2017



野菜讃歌

 外出から帰ると、愉しみに待っていた本が届いていた。アマゾンの古書店から。庄野潤三先生の随筆集、『野菜讃歌』です。

 いつかは自分のものにしなくてはいけない本だと、ずっと思っていた。調べたら、ダメージの少なさそうな一冊があり、届いてみるとその通り。帯としおりのリボンが少し傷んでいた以外は、ほとんど新品のようです。

 表紙を開くと、元の持ち主のお人柄が伺えるようなおまけが付いていた。

「『本』1998 11月号」

 筆圧にもその方のお心が伝わる、優しい鉛筆の文字が添えられた雑誌の切り抜き。「野菜のよろこび」と題され、先生ご自身がこの新刊について書かれているページが、黄ばみもせず挿まれてあったのです。

 冒頭に収められ、タイトルにもなった随筆「野菜讃歌」の中に、先生曰く「書き落とした」きゅうりとにんじんについて書かれている。また、表紙に使われる玉葱の絵が「先年、90歳で亡くなった宮脇綾子さんのアプリケである。」と、愉しみにされている様子も。見本の仕上がる前の、お原稿であることがわかる。

 庄野先生は表紙について、けっして注文を仰ることのない先生でした。ラフデザインや色校正さえも、チェックすることはないという意味です。すべての作業が終わり発売日少し前に見本ができて編集者さんがご自宅に届ける。その時に初めて表紙、装幀の様子を御覧になるのです。編集者さんと装幀デザイナー、そして私のような絵描きに、全幅の信頼を寄せてくださっている。頭が下がります。

 この『野菜讃歌』のときもそうだったのでしょう。静かな先生の佇まいを思い出し、有難い思いがこみ上げます。




 担当編集者さんとしてお世話になった鈴木力さんから、「ヒロさんの絵と共通したところがあると思います」と教えていただき(恐れ多くも有難きお言葉!)、大丸の美術館に展覧会を観たのはいつだったでしょう。順路の最初の白百合の作品から、ただ涙でした。以来、宮脇綾子さんは、私の最も尊敬する日本の画家です。(あえてアプリケ作家とは言わずに、画家と言いたいのです。)

 あらためて、この一冊が私のものになったことに、何よりのよろこびを感じ、一冊の本の持つ力、手に頂き、活字を追う以外にも存在する、予期せぬ力を思わずにいられない。




 私は最近、以前に増して野菜の絵を描く。日々の生活の中の小さなよろこびを味わうことに忙しいのと、絵を描く時間をなんとかして確保したいと願う気持ちから、野菜を描くことが、いかにも自然な事になってきたのです。

 ご主人のお世話やお教室に忙しかった宮脇綾子さんも、もしかしたらそうだったのではないかと思う。そんな自分にとって庄野先生の文学が、一層の道しるべの灯りとなってくれるに違いないとも思う。




 これは、昨夜の夕飯に作った白和え。高齢の父はやわらかいものを好む。しかも、冷蔵庫の中の「何か」でできる時短おかずでもあります。こんなに理にかなったおかずはないなと思いながら作る。蕪の葉と椎茸を茹でたものに、柿を刻んで色合いよく。同じ黄色のスリップウェアによそいました。



14 Oct 2017





薄れてゆく心情の記憶

 涼しくなってくると、私はがぜん元気が出る。朝窓を開ける。夏と違って薄暗い。ひんやりと引き締まった空気を胸一杯吸う。誰も見ていないのをいいことに、多分私はニタニタしている。

 ルーツに北海道や、富士に近い御殿場があることも、関係しているかもしれない。それと、雪の降った日にこの世に生まれたことや、10月の輝きの後にやってくる長く暗い冬を過ごした、イギリスでの日々の思い出はやはり大きい。




 カズオ・イシグロさんの本は読んだことがないけれど、受賞がきっかけで、その言葉に興味を持った。

 5歳まで育った長崎。薄らいでゆく日本での記憶を、紙に書き記すことで安全に保存したいと思ったこと。「感覚的なこと」を保存したかったということ。

 またそのうち、日本を描く役割を放棄し、普遍的な世界を描く作家として書きたいと強く思ったということ。

 抽象的なスタート。舞台をどこにでも動かせる。選択肢が多すぎて、舞台をどこに設定していいかなかなか決められない。

 小説の価値は、奥深いところにある。どの設定なら、アイデアに息が吹き込まれるか。

 問題の層がいくつもある、異なる世界を作り上げること。人々は異なる世界を欲している。そこに行きたがっている。

 どう感じたかを、その場にいるように人に感じさせられるか。心情を伝えること。分かち合うこと。




以上は、Eテレで再放送されたレクチャー番組を観ながら走り書きした言葉ですが、「小説」を「絵」や「造形作品」にそっくり置き換えることで、脳内に鈴の音がリンリンと、澄んで響いたよい番組だった。

 私の、薄らいでゆく、5年に渡るイギリスでの記憶の存在。自分に決定的な影響を与えたイギリス的な題材を追う時期は、無意識に記憶を保存しよう、保存できると思っていたのかもしれないし、そのような中で、期待される役割に執着できない「心情」もあった。長くもやもやしていた多くのことに、ひとこと「わかるよ」と言ってもらえたような気がしてうれしかった。もちろん自分本位の勝手な解釈。

 薄れてゆく記憶を、安全な形で保存する。薄れてゆく心情の記憶・・・。薄れてゆくけれど、ふとしたはずみに、突然よみがえる強い感覚。

 イシグロさんの本、読んでみたいと思いました。

 写真は、先日東京からの友人を誘いドライブした御殿場。とらや工房と旧岸邸にて。御殿場は、祖父が生まれ育ち、仕事をし、眠っている土地です。