30 Aug 2016



9月のレッスン

 昨日は朝からクラスの皆さんへのお知らせメール。星野道夫さんがかつて、氷河の先端にある断崖が音を立てて崩れるのを見て、「ああ、また始まったな、と思う」と季節の変化に躍る心をかみしめるように表現されていましたが、ひと月半ぶりの明るいお返事を皆さんからいっぱい頂いて、ちょっとそんな風にさえ感じる幸せな一日でした。

 新学期、9月はこのイラストレーションをサンプルに、制作したいと思っています。シンプルで明るくて、手紙の隅や封筒のポイントなどにも生きる絵だと思う。

 この絵は、日本のステーショナリーメーカー、「イソップ」から出ていたノートの表紙で、自分にとってある意味、記念碑的作品です。やっとのことちょっと突き抜けることが出来た作品、というか。フルタイムのイラストレーターになって、10年近く経っていた頃でした。

 「好きなように描けばいい」。この単純な真実を、イギリスに暮らすことでいろんな角度から教えられた。自分らしさとは何だろうと思った時、この絵にはそれがいくらか出ているんじゃないかと、今思います。

 当時、大好きだった雑誌、Country Living のアートディレクター、ヘレン・ブラツビーが、「こんな事ってめったにないのよ」と言いながらこのスタイルを気に入ってくれて、それでレギュラーの依頼が来るようになった。「そうか、伝わるんだ」と、初めてわかった。

 インスタグラムを始めて、あの当時の自分を思い出すことが多くなりました。イギリスの女性アーティストたち何人もとつながることができたことが、そうさせるのかも。私の挿絵を、今も大事にしてくれているという Viv Hen's Teeth に出会えたのもうれしかった。




 彼女たちに共通する、チャレンジ精神と明るいユーモアのセンス。お互いへの共感と励まし合い。今ここにある目立たない何かから、ここに無い何か、誰も考えたことの無い何かを生み出そうと言う飾らない情熱には、作風のチャーミングさや大胆さに隠れてはいるけれど、昔からのフォークアートが持つ「魂の繊細」のようなものがちらちら覗いて、そこが私にはたまらないのです。

 こんなことを思うのは、最近 Maddy Prior の歌う 'The Lark in the Morning' を繰り返し聴いているせいかもしれない。

 しかしこの You Tube の画像、見ているだけで切なく、曲のよさと相まって、ほとんど半泣きになってしまう私なのでした。

28 Aug 2016



「わからないこと」

 こーゆーものが苦手な方のために、小っちゃくUP。まあまあイケると言う方は、クリックで大きくしてご覧ください。

 鉢植えのイタリアンパセリが、アレレと言う間に芋虫・イモ子に食べつくされてしまった。ご覧の通り無残な姿に。最初は腹が立ったけど、むしゃむしゃ食べてる姿がけなげで可愛かったし、一日で2倍くらいの大きさに成長する新陳代謝のスゴさにもビックリ。そしてある朝発見の、この新たなステージにも感動です。

 細い細い糸が2本。たったこれだけで、頑丈そうなこの緑のカプセルを支えているということに、まず驚く。どうやってこんなに繊細な糸を繰り出したのか。あの、毎日毎日、ただパセリを食べて大きくなるしか能の無かったイモ子が。

 そしてイモ子時代最後のメッセージ(?)、落し文ならぬ落としフン。正露丸のような黒丸が見えますか? 軒下の植木鉢の西側側面。ヨシ、ここなら、という思いだっただろうか。

 ふにゃふにゃの身体から、このかっちりした蛹へ。そして中では何ごとが? 神秘です。

 わからないことをわからないままにしておくことで、なんだかほっとするときがある。心や身体がふんわり健やかになる。そんな「わからないこと」との出合いを、大事にしたいなと思う。

 (見ればパセリも人が好く、イモ子を恨むでもなしに、すでに新しい芽を出しています。)

 さて、じっくり段取りを経て進化する蝶の一生を、私も少し見習わなくては。若い姪たちのしゃべり言葉、「ムリ」・・・の影響か、はたまた「わからないこと」を大事にし過ぎたか、諦めが早過ぎた。プロバイダーの説明をよく読んで試みたら、ちゃんと Website の更新が出来ました! いつまで続けられるか、それこそわからないけれど、もうちょっと頑張ってみようかな。

 Lesson ページも生き返りましたから、詳細を記す「9月の黒板」、近々更新いたしますね。お騒がせいたしました!

26 Aug 2016



暑い夏と熱いPC

 すでにお気づきの方もお出でかも知れません。実は、2004年からコツコツ更新してきた「河田ヒロ ウェブサイト」が現在開けなくなっています。

 今週初めからプロバイダーのトラブルで閲覧不可となり、何日もかかってトラブルは解消したそうなのですが、こんどは私のPCの能力に限界があり、更新ができず・・・です。

 思い切って新しいPCに替えることになりました。そしてこれを機に、この 'blogger' のブログと、Instagram のみにしてゆこうかと・・・。ページをもっと増やして、旧HP同様、作品の公開やお知らせ、もちろんレッスンの内容や持ち物なども記してゆきたいです。少々お待ちいただけましたら幸せです。

 レッスンのお問い合わせなどに必要なメールアドレスは、ここに直貼りするとスパムが心配なので、以下のようにどこかに表記することにいたします。


 hiro-kawada*po2.across.or.jp 

(* の位置に @ を入れてください。この方法、福永由美子さんのブログで知りました。福永さん、ありがとう。)
 

 あのHPには思い入れがいっぱいありました。鬼の集中力で2日で立ち上げ、デザイン作業も面白くて、多くの方に褒めていただいた。(たとえばシンプルで立ち上がりが早い!とか) 幸せなサイトでした。長年のご愛顧に、心からお礼申し上げます。

 そんなわけで今もまだ、PCカンケイすったもんだ中。今週はメールのお返事も遅れています。何卒お許しください。

 写真は先日訪ねた、三島のセレクトショップ、「イーリ」さんにて。お手製のジンジャーエールで、友人とおもてなし頂いたときのショット。暑い暑い日でした。まるで妖精国の飲み物のようでした。




 こちらは高校の同級生の友人が、ご主人と裾野市で経営しているブルーベリーの菅沼農園。父の誕生祝いの日の昼間、父と小学生の姪ふたりに甥ひとりを乗せて訪ねました。太陽の光をいっぱい浴びて、ぷっくり膨らんだその青い実の美味しかったこと! 

 私のHPではありませんが、20年続けられたこの農園も、今年で一区切り。しばらくお休みなのだそうです。また場所を替えて何年か後に再開とのこと。もっと早くから行くんでした。

 前日の夜に焼いておいたスポンジ台に、新鮮なブルーベリーを載せたバースデーケーキも、8歳から86歳の家族みんなに喜んでもらえた。11人分の食事の用意は今回、超・手抜きでしたが、父も笑顔で佳き一日でした。


23 Aug 2016



笑いと涙の間に

 毎朝BBCのラジオニュースを聴くのが日課ということは、前にも書きました。今日は訃報。ハーモニカ奏者のトゥーツ・シールマンスが94歳で亡くなったという。

 特に熱心なファンという訳ではない私でも、この人のハーモニカの音色は、耳にするたび胸が震える。耳から入った音が最短距離でハートに届き、瞬きの間に深く沁みる。

 映画「真夜中のカーボーイ」のテーマソング。そしてセサミ・ストリートのエンディングに流れるテーマ。この2曲のためだけにだって、長年に渡ってあらゆる音楽に貢献したベルギー出身のジャズミュージシャンの魂に、祈る理由は充分ある。

 ニュースの最後、シールマンスのある言葉が紹介された。


  I feel best in that little space between a smile and a tear.

 笑いと涙の間にあるささやかな空間にいるのが、私にはいちばん調子いいんだ。


 その「ささやかな空間」とは、手のひらに載る小さなハーモニカそのもののことのようにも思え、70年の絶え間ない音楽家の仕事に胸が熱くなった。

 夏は生命の力に引っ張られて、日々が目まぐるしく過ぎてゆく。たまっていた仕事や家事を片付けながら平和を祈り、オリンピックに感動の涙をする。旧友との終の別れ。いつもとは違う台風の進路。遊びに来た成長力120%のチビらにいっぱい笑わせてもらい、若い姪からは弾むパワーをもらう。

 私のハーモニカは小さな机とささやかな画材。秋に向かって、いよいよ制作に集中してゆきたい。

 ウクレレと歌も、友人に「手持ちにある楽器と今の自分の声や能力で、やれるだけやる」という励ましをもらってから、ヘタなりに再開。練習中の一曲はホーギー・カーマイケルの名曲、'Skylark'。詞と、そのことばの音、メロディの絡み具合が、歌ってとても気持ちのいい曲で気に入っています。

 そうだ、笑いと涙の間の細い一筋を縫い上げるひばり・・・を想像しながら、今夜は練習してみましょう。 

7 Aug 2016



泣かぬなら・・・

 久し振りに小学生の甥と姪、トンチフとレナ坊が来た。トンチフは6年生で、夏休みの研究に「織田信長」を選び、先週電話で父に相談していた。父はうれしそうにあれこれ調べて、まるで自分の宿題のように張り切っている。ワープロにぎっしり資料を打ち込んでプリントし、トンチフに「ほれ」と渡す父。「たいへんよくできました」とねぎらう。

 食事中、例の「鳴かぬなら・・・」の句が話題になった。みんなで下の句をめちゃくちゃに言って、トンチフを混乱させる。トンチフはいじられキャラなのです。(「鳴かぬなら、笑わせてやろうホトトギス」by Hiro)。

 ゴハンは真鯛のお刺身でちらし寿司を作った。寿司飯にカリカリ小梅を細かく刻んだり、グリーンピースを彩りに入れたりしたら好評でした。サラダはマカロニサラダに、初めて作ってみた鶏もものハム。パスタは子供ウケを狙いファルファーレを使った。「チョウチョのマカロニだよー」とアピールすると、トンチフから思いもよらない返事が返ってきた。「そういうこと言わないでよ~」。そうでした、彼は昆虫が大の苦手なのだった。「ごめんごめん、リボンだった」と言ってももう遅い。しかしどんだけ昆虫が嫌いなのかと、また家族からひとしきりいじられる6年生なのでした。

 私はトンチフの将来について、春風亭昇太さんに弟子入りするのが一番いいと、勝手にずっと思っている。最近歴史に興味があるそうなので、お城好きの昇太さんの太鼓を持つ力をこれから着々と付けてゆくこともできる。このブログの読者の方で、昇太さんにコネクションのある方がもしおられたら、ぜひお口ききをお願いしたいです。ちょっとせっかちですが、人懐こくて可愛いコです。よろしくお願いします。

 一方、「将来の夢は看護婦さん」の3年生、レナ坊は集中力がぐんと付いてきて頼もしい。昨日は地球の引力について、話に花が咲いた。ブラックホールについてのヒロの持論にも、ちゃんとくらいついてきてくれる。張り合いがある。疑問がどんどん湧いてくるのは、小さな頃からずっとで、もううるさいくらい「なんで…なの?」が口ぐせ。あのエジソンが子供時代にそうだったと人から聞いた。少しは期待できるだろうか。

 昨日は私の部屋で、絵本をじっと読んでいた。今まではすぐに飽きていたのが、2冊、最後まで静かに読み通した。そして秘密のノートを見せてくれた。レナ坊の「なんでも帳」らしく、いつも持ち歩いているという。ほとんどはお絵かき。でも時には字も書く。「バカ!」などと書いてあることもあると妹がこっそり教えてくれた。兄妹喧嘩をした後などに、ひとりノートに向かうのだそうで、気持ちを落ち着け元気になる、自分なりの術をあみだしたのだと思ったら、その成長に伯母バカは胸がじんとしてしまった。

 ところで、「夏が好き」と言う人は、それだけで人助けをしていると、常々私は思っています。というくらい夏が得意でなかったのですが、今年は台風も少なければ、私の風向きもいつもとちょっと違う。いくら暑くても、いまここに溢れている夏の生命力というものに、今までにない感動を覚えているのです。親しい友人が、今年もひとり「じゃあね、先に行ってるからさ」とばかりに、さっさとあっちの世界に旅立ってしまった。命や時間への思いが、数年前からどんどん変化している。

 オバマ大統領が広島で語ったスピーチ。たとえ戦時とはいえ、あの瞬間まで保たれていた人々の団らん、普通の暮らしのことに触れながら、強く平和を訴えていた。立場上言いたいけれど言えないことを抑制という行間に込め、あの時点で可能な限りの深いメッセージではなかったか。


   亡くなった人々は、我々と同じだ。


そこには人類の偉大な発明、「詩」の持つスピリットがあったと思う。(こちらの東京新聞サイトから原文とともに読めますので、ぜひ。)




 夏はめまぐるしく日々が過ぎ、緑は枝葉を太陽に向かってひたすら伸ばす。子どもたちは笑い駆けめぐる。そしてこの国に過去の大きな悲しみが横たわっている季節。自分の感受性に忠実に、少しでもよい仕事をしたいと願う。